量子コンピュータとは?「矢印」でわかる仕組みの基本【第1回】
2025年のノーベル物理学賞は、1984年から85年にかけて行われた、ある電気回路の実験に贈られました。
その実験から40年。いまIBMやGoogleが動かしている量子コンピュータの、いちばん基礎になる部品は、そこから一本の線でつながっています。
この連載では、量子コンピュータとは何かを全6回でご紹介します。第1回は、この分野でいちばん大事な「矢印」という考え方までを。盛岡で砕石と土木工事をしている当社には縁遠い話に見えますが、暗号の切り替えは2035年に私たちの銀行や役所にも及びます。他人事として書ける話ではありません。
1984年から、一本の線がつながっています

1984年から85年。クラーク、ドヴォレ、マルティニスの3氏が、超電導の電気回路で、量子の世界の現象が「目に見える大きさの回路」でも起きることを実験で示しました。超電導とは、うんと冷やすと電気の抵抗がゼロになる現象です。回路には、ジョセフソン接合という部品を使っています。この業績に対して、2025年のノーベル物理学賞が贈られています。
1999年。NECの基礎研究所にいた中村泰信氏、パシキン氏、蔡兆申氏の3氏が、量子ビットを思いどおりに操ることに世界で初めて成功しました。使ったのは、同じジョセフソン接合でできた「クーパー対箱」という回路です。論文は『Nature』の1999年4月29日号に載りました。
しかもこれは、量子ビットを作ろうとして作ったものではありません。蔡氏はNECで「次世代コンピュータを考えろ」と言われ、電子を1個ずつ制御する素子を研究していました。その素子で0と1を重ね合わせてみたら、重ね合わせの生成と読み出しに成功した。理化学研究所がこの経緯につけた題は、「気付いたら量子ビットができていた」です。
2007年。この回路を改良した「トランズモン」という方式が提案されます。論文の題名は、そのものずばり「クーパー対箱から導かれた、電荷ノイズに鈍感な量子ビット設計」。NECが使った回路の名前が、題名にそのまま入っています。そしてこの論文の共著者のひとりが、先ほどのドヴォレ氏です。
そして現在。このトランズモンが、IBMやGoogleの量子コンピュータの主力部品になっています。1984年の実験から数えて、40年。基礎研究が形になるまでに、それだけの時間がかかっています。
ここからが本題です。量子ビットは「矢印」を持っています
いまのコンピュータは、すべての情報を0と1で表しています。この0か1かのひとつぶを「ビット」と呼びます。ビットは必ず0か1のどちらかです。スイッチと同じで、入っているか切れているか。
量子ビットは違います。ここを、ひとつずつ積み上げてご説明します。
量子ビットは、0と1をどういう割合で混ぜるか、そのものが状態になります。そして混ぜ具合には、「向き」がついています。
この「向きのある量」を、矢印だと思ってください。長さと、向き。長さは「その答えが出やすいかどうか」を、向きは「位相」と呼ばれるものを表します。位相という名前は、覚えなくて結構です。大事なのは「向きがある」ということだけです。
この矢印は、私たちが思いついた説明ではありません。ノーベル物理学賞を受けたリチャード・ファインマンが、一般向けの講演で量子の世界を説明したときのことです。数式をひとつも使わず、ぐるぐる回る矢印の足し算だけで説明しました(『光と物質のふしぎな理論』)。専門家が一般の人に伝えるときに使う、正統なやり方です。
そしてこの「向き」こそが、普通の確率との決定的な違いです。サイコロの目が出る確率には、向きがありません。3割は3割で、それ以上のものではない。ところが量子の世界では、同じ「3割」でも向きが違うと、その後の振る舞いがまるで変わります。
よく「0でもあり1でもある、不思議な状態」と説明されますが、この言い方だと向きの話がまるごと抜け落ちます。そして向きが抜けると、量子コンピュータが速い理由も、まるごと消えてしまうのです。
量子ビットが増えると、矢印の数が爆発します
ここが、いちばん大事なところです。
量子ビットを2個並べると、「00」「01」「10」「11」という4通りの組み合わせができます。量子ビットの世界では、この4通りのそれぞれに、1本ずつ矢印がつきます。
3個なら8通りで8本。4個なら16通りで16本。1個増えるごとに、矢印の数は倍になります。
| 量子ビットの数 | 矢印の本数 |
|---|---|
| 10個 | 1,024本 |
| 20個 | 約100万本 |
| 50個 | 約1,126兆本 |
| 300個 | 観測できる宇宙にある原子の数より多い |
ここで大事なことを、はっきり申し上げます。これは「2の300乗個のデータを保存できる」という意味ではありません。そういう説明をときどき見かけますが、間違いです。取り出せる情報の量は、量子ビットの数だけです。
正しくはこうです。その状態を普通のコンピュータで書き留めようとすると、それだけの本数の矢印を並べる必要がある、ということです。
量子コンピュータとは、まとめ(第1回)
- 量子ビットは、答えの候補ごとに長さと向きを持った「矢印」を持ちます。この向きが、普通の確率との決定的な違いです。
- 量子ビットが1個増えるごとに、矢印の数は倍。50個で約1,126兆本になります。
次回は、その矢印から、どうやって答えが出るのか。そして、なぜ普通のコンピュータでは追いつけないのかをご紹介します。
本稿は執筆時点(2026年9月)の情報です。この分野は動きが速く、内容は変わっていきます。下記の出典元で最新の情報をご確認ください。
参考・出典
- R.P.ファインマン『光と物質のふしぎな理論 私の量子電磁力学』岩波現代文庫(矢印による説明)
https://www.iwanami.co.jp/book/b255808.html - ノーベル財団「2025年ノーベル物理学賞」(クラーク、ドヴォレ、マルティニス)
https://www.nobelprize.org/prizes/physics/2025/press-release/ - Nakamura, Pashkin, Tsai「Coherent control of macroscopic quantum states in a single-Cooper-pair box」Nature 398, 786-788 (1999)
https://www.nature.com/articles/19718 - Koch ほか「Charge-insensitive qubit design derived from the Cooper pair box」Physical Review A 76, 042319 (2007)
https://arxiv.org/abs/cond-mat/0703002 - 理化学研究所「気付いたら量子ビットができていた」(1999年の成果の解説)
https://www.riken.jp/pr/closeup/2023/20230612_1/index.html - NEC「2023年度『C&C賞』受賞者を決定」(中村氏・蔡氏の受賞)
https://jpn.nec.com/press/202310/20231010_01.html - IBM「What is a qubit?」(量子ビットの定義)
https://www.ibm.com/think/topics/qubit
このシリーズの記事
- 第1回 量子コンピュータとは?「矢印」でわかる仕組みの基本(この記事)
- 第2回 量子コンピュータはなぜ速いのか?打ち消し合いという仕掛け
- 第3回 量子コンピュータのよくある誤解3つ|もつれ・冷却・量子ビット数
- 第4回 量子コンピュータの現状|6つの方式と、いまどこまで来ているか
- 第5回 量子コンピュータの用途|何に使える?本命は分子と材料
- 第6回 量子コンピュータと暗号|2035年に何が変わるのか
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