量子コンピュータのよくある誤解3つ|もつれ・冷却・量子ビット数【第3回】
前回までのおさらいです。量子ビットは、答えの候補ごとに「矢印」を持っています。長さだけでなく向きがあり、向きの合わない矢印どうしは打ち消し合って消えます。量子コンピュータの計算とは、はずれの矢印を消して、正解の矢印だけを揃えることです。
第3回は、もうひとつの得意技を先にご紹介したうえで、この分野でよくある誤解を三つご説明します。量子もつれ、冷やす話、そして量子ビットの数です。
どれも、ニュースの見出しだけを読むと逆の意味に受け取ってしまうところです。「そうではない」と言うために、何がそうなのかを先に置きます。
もうひとつ、圧倒的に得意なことがあります
隠れた繰り返しを見つけること。これが得意技のひとつでした。もうひとつ、こちらのほうが本命かもしれないというものがあります。
思い出してください。量子ビットが50個あると、矢印が約1,126兆本になり、普通のコンピュータでは1ペタバイトのメモリを使っても再現がやっとでした。
ここで、ひとつ気づいてほしいことがあります。
分子の中の電子も、同じように矢印を持っています。電子は量子の世界の住人だからです。
つまり、分子の振る舞いを普通のコンピュータで正確に計算しようとすると、量子ビットを再現しようとしたときと、まったく同じ爆発が起きます。電子が増えるほど矢印が倍々に増えて、どんなスーパーコンピュータでも追いつかなくなる。だから化学の計算は、いまでも近似——おおよその値で済ませるやり方——に頼っています。
ならば、どうすればよいか。量子のものは、量子で真似すればいい。
これが、1981年にリチャード・ファインマンが「量子コンピュータを作ってはどうか」と言い出した、そもそもの動機でした。自然そのものが量子なのだから、自然を真似るには量子の機械を使うのが素直だろう、と。暗号を破る話は、そのあと1994年に出てきたものです。
ここが大事なところです。この場合、隠れた繰り返しを探す必要すらありません。矢印を持ったものを、矢印を持った機械で扱う。もともと形が同じなのです。
第5回で、この「分子と材料のシミュレーション」——計算で分子のふるまいを真似ること——が、いまどの分野でいちばん期待されているかをご紹介します。
「量子もつれ」で瞬間通信はできません
量子もつれとは、二つの量子ビットが結びついて、離ればなれになっても測った結果が必ず揃うという現象です。これについて、よく見かける説明があります。「量子もつれを使えば、どんなに離れていても情報が瞬時に伝わる」。
これも正しくありません。物理学には「通信不可能定理」という結論があり、量子もつれを使って情報を送ることはできないことがわかっています。
理由は単純です。離れた2つの量子ビットを測ると、必ず示し合わせたような結果になります。ところがその結果は、どちらの側でも決められない、でたらめな値なのです。決められないものは、合図に使えません。二人の目が揃っていたとわかるのは、あとで電話やメールなど普通の方法で結果を見せ合ったときです。
ここで気をつけたい例えがあります。「離れた双子が同じことを感じるようなもの」という説明です。これは使えません。双子の例えは「最初から決まっていたことが、後でわかっただけ」という話で、量子もつれの実験が否定したのは、まさにその考え方だからです。2022年のノーベル物理学賞は、その実証に対して贈られています。
なぜ冷やすのか。そして、全部が冷たいわけではない
矢印の向きは、とても壊れやすいものです。まわりの熱や電波や振動が少しでも触れると、量子ビットは外の世界と関わりを持ってしまい、向きが乱れます。向きが乱れれば、打ち消し合いも揃いも作れません。これを「デコヒーレンス」と呼びます。量子コンピュータが難しい、いちばんの理由がこれです。
そこで超電導方式では、絶対零度に近い、10ミリケルビン程度まで冷やします。絶対零度の100分の1度ほどの世界です。なお、絶対零度そのものには到達できません。
ただし、ここで注意です。すべての量子コンピュータが、あんなに冷たいわけではありません。原子を光のピンセットで捕まえる「中性原子方式」は、あの冷凍機を必要としません。イオンを閉じ込める方式も、真空は要りますが量子ビット自体をそこまで冷やす必要はありません。光を使う方式も、量子ビットは常温です。
「量子コンピュータは絶対零度に冷やす機械です」と言い切ってしまうと、それは嘘になります。あの写真は、超電導方式のものです。
量子ビットの数が、そのまま性能ではありません
ニュースでは「何量子ビット達成」という数字がよく出てきます。ですがこの数字は、そのままでは性能を表しません。
先ほどのとおり、矢印の向きはすぐ乱れます。そこで、壊れやすい量子ビットを何個も束ねて、誤りを打ち消しながら1個分の確かな量子ビットとして使います。この仕組みを「量子誤り訂正」といい、束ねてできた1個を「論理量子ビット」、材料になった個々のものを「物理量子ビット」と呼びます。
1個の論理量子ビットを作るのに必要な物理量子ビットは、千から万の単位とされています。ですから「256量子ビット」と「論理量子ビット256個」は、まったく違う話です。ニュースを読むときは、どちらの数字かを見てください。
それを示す出来事があります。IBMは2023年に1,121量子ビットの機械を発表しました。ところが、いま同社が主力に据えているのは120個から156個の機械です。数を減らしたのに、性能は上がっています。数ではなく質に舵を切ったのです。
量子コンピュータの誤解、まとめ(第3回)
- もうひとつの得意技が分子や材料のシミュレーション。分子の中の電子も矢印を持っているので、もともと形が同じです。これがファインマンの、そもそもの動機でした。
- 矢印の向きは壊れやすく、だから冷やします。ただし冷やすのは超電導方式の話です。
- 量子ビットの数は、そのままでは性能ではありません。物理か論理かを見てください。
ここまでが仕組みの話です。次回からは、いまどこまで来ているのかをご紹介します。
本稿は執筆時点(2026年9月)の情報です。この分野は動きが速く、内容は変わっていきます。下記の出典元で最新の情報をご確認ください。
参考・出典
- ノーベル財団「2022年ノーベル物理学賞」(アスペ、クラウザー、ツァイリンガー/量子もつれの実験)
https://www.nobelprize.org/prizes/physics/2022/press-release/ - NIST「What is Decoherence?」
https://www.nist.gov/video/what-decoherence - Google Quantum AI「Quantum error correction below the surface code threshold」Nature (2024)
https://www.nature.com/articles/s41586-024-08449-y - 理化学研究所 量子コンピュータポータル(量子もつれと通信について)
https://q-portal.riken.jp/poster-quantum/colums/colum1-6.html - QuEra「Quantum Interference」「Grover’s Algorithm」「Dilution Refrigerator」(干渉、探索、冷凍機)
https://www.quera.com/glossary/quantum-interference - Willsch ほか「The State of Factoring on Quantum Computers」(IBMが1,121量子ビットのQPUを製造した旨の記載。原典は D. Castelvecchi, Nature 624, 238 (2023))
https://arxiv.org/html/2410.14397v1 - IBM Quantum「Hardware」(現行機はHeron 133・156量子ビット、Nighthawk 120量子ビット)
https://www.ibm.com/quantum/hardware
このシリーズの記事
- 第1回 量子コンピュータとは?「矢印」でわかる仕組みの基本
- 第2回 量子コンピュータはなぜ速いのか?打ち消し合いという仕掛け
- 第3回 量子コンピュータのよくある誤解3つ|もつれ・冷却・量子ビット数(この記事)
- 第4回 量子コンピュータの現状|6つの方式と、いまどこまで来ているか
- 第5回 量子コンピュータの用途|何に使える?本命は分子と材料
- 第6回 量子コンピュータと暗号|2035年に何が変わるのか
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