北上川を知る①|源流は岩手町「弓弭の泉」―源義家伝説と東北最大の川のはじまり
盛岡の街を貫き、岩手・宮城の広い流域を潤す 北上川 。石名坂は盛岡市で土木工事や砕石・砂利の販売を営む中で、この北上川の流域に長く根差してきました。今回から数回にわたり、北上川の源流・水質再生・治水の歴史をたどるシリーズをお届けします。第1回は、北上川がどこから始まる川なのかをご紹介します。
東北最大の川、北上川の基本データ
北上川は、岩手県から宮城県へと流れる東北地方最大の一級河川です。幹川流路延長(全長)は約249km(全国第5位)、流域面積は約10,150km²(全国第4位)にのぼり、岩手県のほぼ全域と宮城県の一部を潤しています。岩手県内を北から南へ縦断するように流れ、盛岡市の中心部を通り、北上市・奥州市・一関市などを経て、宮城県石巻市で追波湾へと注ぎます(下流で分かれる旧北上川は、迫川・江合川と合流したのち石巻湾へ注ぎます)。
盛岡市内では、市街地のすぐそばを流れる身近な川として、多くの市民に親しまれています。石名坂が拠点を置く盛岡も、この北上川流域の一角にあります。
源流は岩手町「弓弭(ゆはず)の泉」
国土交通省が定める一級河川としての北上川の源流は、岩手県岩手郡岩手町にある御堂(みどう)観音の境内に湧く「弓弭の泉」とされています。盛岡市内から北へ向かった、岩手町の静かな山あいにある湧き水です。ここから湧き出た水が少しずつ川筋となり、やがて東北を代表する大河へと育っていきます。
源義家と前九年の役の伝説
弓弭の泉には、平安時代の武将・源義家にまつわる伝説が残されています。1051年(永承6年)に始まった前九年の役の最中、この地を通りかかった源義家が空に向けて矢を放ったところ、矢は思いのほか遠くまで飛び、大きな杉の根元に突き刺さったといいます。義家がその根元の岩を弓弭(弓の先端部分)で突いたところ、こんこんと清水が湧き出した――これが弓弭の泉の名の由来とされる伝説です。
御堂観音という名も、この泉やお堂にまつわる信仰の歴史から付けられたと伝えられています。伝説の真偽はさておき、千年近く前の出来事が地名や泉の由来として今に語り継がれていること自体が、この土地と川との結びつきの深さを物語っています。

盛岡を経て追波湾へ―流域を支える川
岩手町の一滴から始まった水は、雫石川・中津川・猿ヶ石川・和賀川・胆沢川など数多くの支流を集めながら南下し、盛岡市街地を経て、やがて宮城県石巻市の追波湾で太平洋へと注ぎます。流域には田畑が広がり、都市が形成され、人々の暮らしと産業がこの川とともに営まれてきました。
石名坂が扱う砕石・砂利や、日々携わる土木工事も、この北上川流域の地形・地質と切り離せません。地域のインフラを支える立場として、私たちもこの大きな川の恵みの中で事業を営んでいます。
まとめ
北上川は、岩手町の小さな湧き水「弓弭の泉」から始まり、源義家の伝説を伝えながら、盛岡をはじめ多くの街を経て追波湾へと注ぐ、東北最大級の川です。次回は、この北上川がかつて「死の川」と呼ばれるほど汚染された時代と、そこからの再生の歴史をご紹介します。
※本稿は公開されている資料・情報をもとに構成しています。伝説・由来については地域により異なる伝承がある場合があります。
参考・出典
- 国土交通省 東北地方整備局 北上川下流河川事務所「北上川の概要と歴史」
- 【岩手町】公式ウェブサイト「北上川源泉 弓弭の泉」

