東日本大震災を知る④|陸前高田のかさ上げと復興まちづくり
「東日本大震災を知る」シリーズ第4回です。第3回では「くしの歯作戦」による道路啓開と、復興を支えた建設業の役割をご紹介しました。今回は、被災した住まいとまちそのものをどう再建したのか、高台移転・防潮堤整備・かさ上げといった復興まちづくりの取り組みをご紹介します。
陸前高田の巨大かさ上げ工事
津波で市街地の大部分が流失した陸前高田市では、再び同じ場所にまちを再建するにあたり、市街地全体を平均約10m盛り土して底上げする「かさ上げ」が行われました。切り土工事で発生した土砂は500万m³、現地発生土を利用した盛土は46万m³にのぼる、被災地でも最大級の造成工事です。
この膨大な土砂を運ぶため、2014年3月から2015年9月まで、気仙町から高田町までの約3kmにわたって巨大なベルトコンベアが設置されました。山から切り出した土砂を1日あたり最大5万5千トン運び続け、ダンプトラックによる大量輸送では実現できないペースで、工期を大幅に短縮しています。(出典: 東海新報、日経クロステック)
高台移転と防潮堤整備
かさ上げと並行して進められたのが、住宅地を津波の届かない高台に移す「防災集団移転」です。陸前高田市高田地区では2018年7月に66戸が完成、大槌町吉里吉里地区では2015年7月に18戸が完成するなど、岩手県沿岸の複数地区で実施されました。
防潮堤の整備も進み、陸前高田市高田海岸では2016年12月に高さ12.5m・延長3.9kmの防潮堤が竣工、釜石市片岸海岸でも2018年12月に高さ14.5m・延長0.8kmの防潮堤が完成しています。土地区画整理も並行して進み、陸前高田市高田地区では986戸規模、山田町では2019年2月に473戸規模の整備が完了しました。(出典: 復興庁「空から見る復興」)

「奇跡の一本松」— 希望の象徴
陸前高田市の海岸には、かつて約7万本の松が約350年にわたり防風林として海岸を守ってきた「高田松原」がありました。東日本大震災の津波は、この松林をわずか1本を残してすべて押し流しました。奇跡的に残ったこの松は「奇跡の一本松」と呼ばれ、被災者にとって希望と復興の象徴となりました。2012年5月に塩害により枯死が確認された後も、保存処理を施したうえでモニュメントとして現地に残されています。
現在、奇跡の一本松は「高田松原津波復興祈念公園」内に位置し、2019年9月22日には東日本大震災津波伝承館(愛称: いわてTSUNAMIメモリアル)が開館しました。津波の記憶と教訓を次世代に伝える拠点として、多くの見学者を受け入れています。
復興の象徴 — 釜石鵜住居復興スタジアム
かつて防災教育の舞台であり、津波で校舎が被災した釜石市鵜住居地区の小中学校跡地には、2018年7月に「釜石鵜住居復興スタジアム」が竣工しました。このスタジアムは、2019年に日本で開催されたラグビーワールドカップの試合会場の一つにもなり、震災復興を国内外に発信する象徴的な施設となっています。
まとめ
陸前高田の巨大なかさ上げ工事、高台移転や防潮堤による多重防御、そして震災の記憶を伝える奇跡の一本松や復興スタジアム。岩手県沿岸の復興まちづくりは、10年以上の歳月をかけて、安全なまちと震災の記憶を伝える場を同時に築いてきました。次回は最終回として、これまでの教訓が現在の防災対策にどう活かされているのか、私たちが今できることをご紹介します。
※本稿は公開されている資料・記録をもとに構成した時点情報です。
参考・出典


